日本のフリーメーソンは全員処刑される④
- 2014/07/16
- 09:52

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シオン議定書がフリーメーソンについて言及している箇所の抜粋。
フリーメーソンに与える仕事の役割分担、その詳細について触れている箇所-
〇第一議定書より-
『…自由・平等・博愛という言葉は、盲従的な我々のスパイたち(※フリーメーソンのこと。小沢が新生党を立ち上げた時、これを露骨に党のスローガンとした。 -管理人)によって、世界の隅々にまで行き渡り、幾千万の民衆が我々の足下にひれ伏し、この旗を狂喜して担ぎ廻っている。
しかし、この標語は世界中いたる所で平和と平穏、団結を破壊し、国家を基礎から崩壊させ、非ユダヤ人の幸福を侵食する獅子身中の虫となっている。
これが我々の勝利を大いに前進せしめたのだ。…-後略-』
(シオン議定書は、自由、平等、博愛(友愛)というスローガンが世の中を破壊するのだと主張する。
普通これらの言葉一つ一つを見ると、悪いイメージは全くない。自由…誰からも支配されない。自分の人生は自分が決定する。平等…人間の値打ちは生まれた素性や貧富によって区分けされるものではない。博愛…人は皆、愛し合い理解し合うよう努めるべきだ。……
自由、平等、博愛には間違いなくこのような意味合いがあるはずである。
しかし、ここで重大なことは、それは、全ての人間が正しく真面目であった場合のみそういう意味合いが象徴的に現れて機能するということであって、そうではない場合、強烈な毒を放つ側面が顔を出す。
自由と同時に平等、つまり、何をやっても平等だと言ってるわけである。
ついでに博愛、“そして愛し合え”と。
自由わがままに振る舞ったなら平等などあるわけがない。その勝手な行いに準じて相応な処遇を受け入れねばなるまい。
所が、そのような当たり前のことを当たり前に訴えると今度は博愛をもってきて、“博愛の精神に反する”と反論するレールを敷くことになるわけである。
所で、これを読んでいる人は何か思い当たることが頭に浮かんだのではなかろうか………?
そう、在日朝鮮人の唱える“差別やめろ!権利は平等だ!我々を受け入れろ!”という言い回しである。
つまり、私は何度も当ブログの中で訴えているが、在日朝鮮人というのは、その根っこにイルミナティが構えており、日本の国体破壊の貴重な駒(パシリ、捨て駒)なのである。 -管理人)
〇第二議定書より-
『…貴族は、自分自身の利益のためとはいえ、国民の唯一の守り手であり、また扶養者でもあった。
というのは彼らの利益は国民の福利と不可分の関係にあったから。
それを人民は、我々の(自由・平等・博愛の)指導の下に撲滅してしまったのである。
しかし今や、貴族の根絶とともに国民は、労働者たちの上に容赦ない重圧としてのしかかる成り上がり者や悪賢い富農たちの圧迫下に苦しんでいる。
フリーメーソンが人道的博愛主義を口実にして援助を与えている社会主義者、無政府主義者、共産主義者らは、あたかも労働者を救済してくれるかのように仰がれており、貴族階級は、労働者たちの衣食が足り健康であることを願ったが、我々は反対に非ユダヤ人の衰退を謀っている。
つまり我々の目的は、労働者の慢性的栄養不良と体質虚弱にあり、これによって彼等を我々の思い通りに従属させることができるのだ。-中略-…我々は生活難とそこから生まれる嫉妬や憎悪の感情を利用して大衆を動かし、その大衆の手を借りて我々の進む道を遮る敵を撲滅してきたのである。…-後略-』
(つまりここでは、社民党や共産党にはしっかりと手を回しており、労働者の視点で正論を述べても、頼ってきた者を逆に悪化させる口先だけのヤブ医者にすぎないという話である。
なるほど社民党については全くその通りだと思うが、ただ共産党の場合は、特に税金に関する指摘は正論で、共産党がどれだけ票を取っても政権与党になどなり得ないので毒をもって毒を制すではないが、私はしばしば共産党に投票している。-管理人-)
〇第十六議定書、第八議定書より-(教育を牛耳るという話)
『…我々は、我々以外の力の集団化を防ぐために、集団化の第一段階である大学を、新しい方針によって再教育し無害化しなければならない。
大学の監理当局と教授連中とは、詳細な秘密計画に従って、活動の準備教育を施され、この計画に違反する時は必ず処罰されることにしておく。また我々は、大学教授の任命には大いに注意を払って、彼等を完全に政府の支配下に置くだろう。(…なるほど、何でこいつが大学教授なんかになれたのか?というようなのがテレビ等に沢山出てくる。 )
司法や政治問題に関連する科目は、総て指導科目から除外する。これらの学科目は、特にフリーメーソン結社の内情に通じた者の中から選んだ、少数の優秀な人物の前でのみ講ぜられなくてはならない。-中略-
…我々のユダヤ政府は、あらゆる文明諸国の援軍、つまり社会主義、共産主義、無政府主義者等を集め、その中心に立って活動をすべきである。そしてこの援軍を構成する社会評論家、新聞記者、法律学者、行政官、政治家、それから最後には、我々の特殊学校で特殊の予備教育を授けた“経済学者や革命家”等の人々を、ユダヤ政府の周囲に集めねばならない。…-後略-』

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〇第十二議定書より-
(マスコミをどのように使うかという話)
『…もし我々が10冊の雑誌を許可したら、それは30冊許可したのと同じことになるが、心配はいらない。
なぜなら、我々が雑誌を発行するからで、それらの雑誌には表面上我々の考えとは正反対の意見を掲載し、読者の信頼を得ると同時に、我々に反対する者たちを魅了させるのだ。
このようなトリックで雑誌は無害となる。
より詳細な視点を述べよう。
◆第一の視点として、政府系の新聞雑誌を発行する。その任務は、我々の利益の番人であり影響力は小さい。
◆第二の視点として、半官的な新聞雑誌を発行する。その使命は我々に対して、無関心かつ日和見的な人々を我々の味方に引き入れる事にある。
◆第三は、自らの新聞雑誌の一つに、我々に反対の立場を取らせるのだ。
そうすれば、心から我々に反対する敵は、この見せかけの反対を本物と思い込み、我々ユダヤを同士と見て、腹臓なく自分達の秘密(カード)を提示するのである。……-中略-
…今や既に、フランスの新聞や雑誌では、暗号に「フリーメーソン」を見ることができる。何れの新聞も古代の占い師のように、職務上の秘密を遵守し、公表をしないと決議した以上は、自分の知っている秘密を明らかにするものは一人もいない。…-後略-』
〇第二十議定書より-
(国家の会計報告書をフリーメーソンを使って牛耳るという話)
『…我々は決算や検査の手続きを完備して、統治者も最下級の小吏も、我々が国家財政計画で予定した以外の目的と用途には、一文たりとも国家の金を流用できないようにするであろう。
確固たる計画がなければ統治はできない。一定の道を歩む際に、一定の財政的準備がなかったら、いかなる英雄も勇士もまた破滅する外はなかろう。
我々は、非ユダヤ人統治者に接見義務や代表義務を課したり、宮中儀礼を行わせたり、また豪華なお祭り騒ぎをさせたりして、彼等に詳しく政務を見る暇を与えないように仕向けてきた。つまり彼等は、我々の主権を守るついたてに他ならなかったのである。また彼等に代わって、本当の国政の任に当たっていた寵臣達も、政治については少しも解する所がなかった。
会計報告書は、我がフリーメーソン結社の工作員に作成させたので、我々はこの報告書によって、将来は貯蓄もできるであろう。諸々の改良も実行されると約束すれば、信じ易い非ユダヤ人は安心する。
しかし我々の貯蓄は、何処から得ることができたのか。新税からとでもいうのか。我が決算書と企画書とを読んだ人ならば、誰でもそう訊ねることができたであろう。ところが非ユダヤ人は、誰一人として、この明白な抗議に想い至った者はいなかった。
諸君は、非ユダヤ人の統治者のこのような呑気さが、彼等をどんな目に合わせたかを御承知である。彼等の人民達は驚嘆すべき勤勉にもかかわらず、非ユダヤ人国家は、財政の崩壊を目前に控えているのである。』
(マスコミをどのように使うかという話)
『…もし我々が10冊の雑誌を許可したら、それは30冊許可したのと同じことになるが、心配はいらない。
なぜなら、我々が雑誌を発行するからで、それらの雑誌には表面上我々の考えとは正反対の意見を掲載し、読者の信頼を得ると同時に、我々に反対する者たちを魅了させるのだ。
このようなトリックで雑誌は無害となる。
より詳細な視点を述べよう。
◆第一の視点として、政府系の新聞雑誌を発行する。その任務は、我々の利益の番人であり影響力は小さい。
◆第二の視点として、半官的な新聞雑誌を発行する。その使命は我々に対して、無関心かつ日和見的な人々を我々の味方に引き入れる事にある。
◆第三は、自らの新聞雑誌の一つに、我々に反対の立場を取らせるのだ。
そうすれば、心から我々に反対する敵は、この見せかけの反対を本物と思い込み、我々ユダヤを同士と見て、腹臓なく自分達の秘密(カード)を提示するのである。……-中略-
…今や既に、フランスの新聞や雑誌では、暗号に「フリーメーソン」を見ることができる。何れの新聞も古代の占い師のように、職務上の秘密を遵守し、公表をしないと決議した以上は、自分の知っている秘密を明らかにするものは一人もいない。…-後略-』
〇第二十議定書より-
(国家の会計報告書をフリーメーソンを使って牛耳るという話)
『…我々は決算や検査の手続きを完備して、統治者も最下級の小吏も、我々が国家財政計画で予定した以外の目的と用途には、一文たりとも国家の金を流用できないようにするであろう。
確固たる計画がなければ統治はできない。一定の道を歩む際に、一定の財政的準備がなかったら、いかなる英雄も勇士もまた破滅する外はなかろう。
我々は、非ユダヤ人統治者に接見義務や代表義務を課したり、宮中儀礼を行わせたり、また豪華なお祭り騒ぎをさせたりして、彼等に詳しく政務を見る暇を与えないように仕向けてきた。つまり彼等は、我々の主権を守るついたてに他ならなかったのである。また彼等に代わって、本当の国政の任に当たっていた寵臣達も、政治については少しも解する所がなかった。
会計報告書は、我がフリーメーソン結社の工作員に作成させたので、我々はこの報告書によって、将来は貯蓄もできるであろう。諸々の改良も実行されると約束すれば、信じ易い非ユダヤ人は安心する。
しかし我々の貯蓄は、何処から得ることができたのか。新税からとでもいうのか。我が決算書と企画書とを読んだ人ならば、誰でもそう訊ねることができたであろう。ところが非ユダヤ人は、誰一人として、この明白な抗議に想い至った者はいなかった。
諸君は、非ユダヤ人の統治者のこのような呑気さが、彼等をどんな目に合わせたかを御承知である。彼等の人民達は驚嘆すべき勤勉にもかかわらず、非ユダヤ人国家は、財政の崩壊を目前に控えているのである。』
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