進化論最終決着
- 2014/09/30
- 03:19

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最近の世界的な傾向として、進化論を否定する人がやたら多い。
これは一つの謎と言っていい。
私なりに色々と調べてみた結果、どうも例の「シオン議定書」が影響しているらしいことがわかってきた。
進化論否定者達は、大体このシオン賢哲の議定書から遠からぬ所にいる人間と見受けられる。
人類史上最大の悪書、悪巧みの手引き書と言えるあのシオン議定書には、『我々が仕組んだダーウィンの説には注意なさるがよい』と明記されている。
多くの人が、この記述にこだわっているように思われる。
しかし、この進化論に限っては、弱い者は強い者に食われ滅ぼされるのだ、『弱肉強食、優勝劣敗の論理にハクがつく』ということであって、進化論そのものが架空の話だと言ってるのかというとそれは少し違う。
進化論は我々の論理哲学に大いに活用できるのだ、と言ってるだけなのである。
ガタイのでかい強い者が勝つのではなく、環境の変化に適応できた者が生き残ってきたのである(適者生存)。
では、前置きはさておき、進化論はウソか本当かを検証してみたい。(論じてみたい)
〇アメーバは人間になる-
アメーバのような下等な生物が人間の先祖であるわけがない。それは神への冒涜だ。-
こういうことがよく言われるが、では、あなたが生まれるわずか10ヶ月前はアメーバ(アメーバレベルの精子、卵子)だったことをどう思われるのか?
もし、進化という現象がないとしたなら、あなたの子種(精子)の姿は小さな小さな人間の姿(人間の半身の姿)をしていなくては論理が破綻する。
自らの目で確認できない遠い昔の事は否定するくせに当たり前に自分の目で確認できることは疑問にすら思わない……
それは非常に幼稚な心理としか言いようがない。
進化を否定する人は、自分の生まれる10ヶ月前の姿が、奇怪なオタマジャクシのような者だったことを顔を真っ赤にして絶叫して否定する必要があるわけなのだが-
…………………
〇鶏が先か卵が先か-
進化論を否定する人々は、当然鶏は何億年も前から鶏であったとする立場上鶏という話になるのだろうが、残念ながら、答えは卵である。
厳密に言うと、卵に非常に近い構造の物である。
それは原始無核生物という、原始の地球の海面に浮かぶ一個の細胞のような物がそれにあたる。要するにこれが、我々脊椎動物の先祖である。
どういう話かというと、数億年の時を遡ると、太陽も地球も火星も皆ドロドロの渾然一体だったわけである。
それが歳月の経過と共に、太陽や地球が形成されていった。
当然の話、出来立ての地球は大地も空も海も非常に“雑で荒いもの”であった。
雑で荒い世界にいきなり繊細で複雑な造りの物が現れるのか?
先ずは原始的な単純な物か?
2つに一つ、どちらであろうか。
進化論を否定する人は、卵から鶏までの変化に対しても顔を真っ赤にして絶叫して否定することを忘れている。
『我々は、卵のような核と栄養分だけの原始的なものがわずか一月足らずで鶏になることなど断じて認めないぞ!』と。
しかし、このことに対し否定し食ってかかる進化論否定者は存在しない。
どうされたのか?
なぜ、目の前の進化そのものの現象に対しては黙秘するのか?
…………
原始の地球には、先ずは原始的な生物が現れ、それが長い歳月の果てに、生き残るため必要に迫られ周囲の環境を感受する器官を発達させ複雑な造りのものへと変化していく。
当たり前の話である。
実は、進化論については仏教の方では実に明確な答えを出している。
それを説明する前に、まず仏教というものは何なのかということを説明せねばなるまい(偉そうだが)。
仏教、仏説とは釈迦の思想ではない。
諸行無常(万物は片時もとどまることなく、時々刻々と変化していく)にせよ、
色即是空(形あるものは壊れる。原型をとどめない)にせよ、釈迦という人物がこの世に居ようが居まいが、そういうこととは関係のない“この世界の真理、原理”を文字に起こしただけのことなのである。
そういうことを深く探り当てた人物が釈迦であったという話である……
その釈迦が、進化論について実に明確な答えを言い残している。
それを12因縁という。
12因縁とは、生物はなぜこの世に生まれ老いて死んでいくのかを、12の段階、プロセスに分けて解説した説法である。……1.無明(むみょう)⇔2.行(ぎょう)⇔3.識(しき)⇔4.名色(みょうしき)⇔5.六処(ろくしょ)⇔6.触(そく)⇔7.受(じゅ)⇔8.愛(あい)⇔9.取(しゅ)⇔10.有(う)⇔11.生(しょう)⇔12.老死(ろうし)を指す。
これをつまびらかに説明すると、本一冊程度の非常に長い話になるが、感覚的には1秒である。
要は、この世界の万象は、無明によって起こり老死に至るという話である。
ではその“無明”とは何ぞやという話だが、その無明を説明する前に重大なことは、実はこの世界(宇宙-物質に宿る現象世界)は真実の世界ではなく、虚妄の世界だということを知る必要があるのである。
真実の世界は物質の世界ではない。
12因縁の主眼は、『この世界は虚妄であるにかかわらず、それを見抜くことができないために、この世界に繋縛され生まれてくる』という所である。
しかし、それを説明するのは非常に長い時間がかかるので、とりあえずこの場では省かして頂くこととする。当ブログにおいて、追々説明していく。(…気が向けばの話だが)
要するに、無明とは手っ取り早くいうと、“根源的無知”の状態を指す。
この世界の真理、真実に対して迷妄な状態を指して言う。
何も分からない幼稚で原始の生命は、この世界に誕生すると、まず、その無知の状態を打破するために、《手探りで触手を伸ばしていく》これを12因縁の“行”という。
よく無明=煩悩、行=セックスという解説が行われるが、それは言ってることが正確ではない。そういう解釈も側面的には成り立つが、それは枝葉であって根幹ではない。
生命が生き続け生き残るためには、外で自分の身の回りで何が起こっているのか?自分の身の回りはどういう状態、状況なのかを少しでも正確に把握する必要があるわけである。
先ず原始的な生命は熱と苦楽を感知する所から始まるようである。
光合成を行う植物性プランクトンは、日光のある所を楽、ない所を苦と感知するわけである。
つまり、身体全身そのものの感覚である。
次に必要を迫られるのは、周囲の音を正確に把握する器官であり、臭気を正確に把握する器官であり、味覚を正確に把握する器官であり、そして映像を正確に把握する器官である。
更に、それらを統括集合した上で判断舵取りを行う意識の成熟である。
この、身、耳、鼻、舌、目、意識(眼耳鼻舌身意)が揃うことを六処と釈迦は表現した。
つまり、無明から行、六処に至る過程こそが進化そのものを言ってるわけである………

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よくミッシングリンクを埋める化石が発掘されていないことを、「それは宇宙人(外星人)が遺伝子操作を施したからなのだ。だから進化論はウソなのだ」ということを唱える人がいるが、私も宇宙人(外星人)の存在自体は何ら否定はしない。(※我々自身が宇宙人である。我々が存在するということが、もっともっと“別の所”にも、我々のような者が存在することの証明に他ならない)
しかし、ちょっと考えるとここで単純な疑問が起こる。
ではその遺伝子操作を施した宇宙人とやらは、猿の姿をはるかに超越した知的生命体であったことは間違いない話になってくるわけで、ではその宇宙人がそういう姿になったのは誰のお陰だったのか?という所である。
「それも、また別の宇宙人がやったんだよ」
そういう果てしのない話になっていくというのであろうか?
繰り返し言うが、いきなり複雑な造りのものが出現するわけがない。
先ずは原始的な単純なものから始まる。
当たり前の話である。
………
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