年末から話題の、韓国在日正当化、日本毀損パフォーマンスのサザンオールスターズ桑田の顔を見ると、『事の発端は、日本が朝鮮半島を侵略植民地化したことなのだ。なのに今の日本人は何だ?安倍政権は何だ?』
とでも言いたげだが、桑田くん、君の教えられたのであろう歴史認識というのは、そもそも土台から真っ赤なウソなのです。
まあ、色々と自分なりにネット検索なり動画検索をすれば真実の何たるかに嫌が応にも行き着くのだが、どうも君ら在日くんはそれをやろうとせず一方的に被害者の立場にへばり着こうという傾向が強いよう見受ける。
もちろん、そのような姿勢、態度は、我々本物の日本人の怒りの火に真っ向油を注ぐものとなる。
まあ、御本人がそれを望んでるのだからしょうがない。
君や野球の星野などを見ると、改めて“いい在日も悪い在日もまとめてぶっ殺せ!日本から出ていけ!”という過激な話になってしまうようである。(……こういう暴力的なことを言うのは、我々にとっても本当に不本意なことなのだ)
なぜなら、君らは今まで日本で日本人からたっぷりと身に余る愛情を注いでもらったわけだろう。
巨額の金も貰った。
にも関わらず、震災では被災者を愚弄し、大晦日には反日パフォーマンスをやるわけだろう。
その結果、君ら在日にどういう結末が訪れるか…………
それは覚悟しておいた方がいい。
※以下に紹介するのは、日韓併合の真実の経緯である。君も自分なりに色々と検索して調べてみるとよい。
《正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現》さんより-
-以下転載-
◎日韓併合への過程3
・1910年8月22日「韓国併合ニ関スル条約」(日韓併合条約)調印・朝鮮人自らの意思で日韓併合を最善策と判断し決定・日韓双方に反対派は居たが最後は日韓双方の賛成派が優勢となって合意
07/8/22 20:43(22|2)
-日韓併合について正しい歴史認識を持つには、まず、日韓併合は日本によって行われたという誤った先入観を捨て、日韓双方の合意によって行われたという真実を認識しなければならない。
日韓併合論というのは、ずっと以前から日韓双方で議論されていたことだった。
日本側にも賛成派と反対派がいたし、同じように韓国側にも賛成派と反対派がいた。
日本側においては、陸奥宗光、曾禰荒助、竹越興三郎などは明確に反対していたし、伊藤博文もかなり消極的だったことは有名だし、井上馨や原敬も伊藤と同じだったようだ。
一方、長州閥の桂太郎、山縣有朋、寺内正毅などは、併合推進派だった。
対する韓国側においても、賛成派と反対派は割れていた。
李容九や宋秉?などが率いる文明開化派の最大政治組織「一進会」が強く併合を推進したし、総理大臣の李完用を始めとする閣僚の約半数が「推進~容認」派だった。
一方、それまで朝鮮民衆に塗炭の苦しみを与え、私利私欲を貪っていた皇帝高宗や両班や儒者たちは反対していた。
1907年のハーグ密使事件後、日本国内に「我が国上下與論(よろん)沸然として鼎(かなえ)の湧くが如く、或いは新聞に、演説に併合を論じ、合邦を説くこと盛(さかん)なり」といった日韓併合・合邦論が急速に台頭してきた。
また、樽井藤吉(1849-1922)の『大東合邦論』の「日韓併合によって新合邦国家『大東国』を建設し、次に大東国と清国が合邦して南方植民地(東南アジア地域)を解放し、『大東亜連邦』を実現する」と言った構想が内外に影響を及ぼし、遂には韓国国内にも「日韓併合」論が公然と主張されだした。
1909年に日本で併合が閣議決定したものの、併合の時期について、曾禰荒助は「就任時伊藤、桂と三者会談にて、5、6年様子を見て」と合意していた。
ところが、その1年以内に韓国側のほうで大きな変化があった。
―――――――
本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。
2001.08.27 中央日報
―――――――
また、一進会は1909年12月4日「韓日合邦を要求する声明書」を作成し、上奏文と請願書をそれぞれ李完用総理、皇帝純宗、曾禰荒助統監に提出した。
しかし、日本側の併合反対派であった曾禰荒助統監は、この合邦案を時期尚早との理由で却下すると共に、新聞社、通信社に働きかけ、反対の論調をとらせた。(※ここ非常に重要な所。日本側は、韓国の併合要求を拒否していたのである。そりゃ当然の話だ。清露を撃退して日も浅く国力はまだまだ回復しておらず、あんな糞尿まみれの原始社会を日本と同じにするには莫大な負担と労力がかかるばかりで何の旨味もない)
それでも、韓国側の併合推進派である一進会は上奏書を却下されてもまた提出し、これを繰り返すこと4回目に桂首相の指示により遂に受け取られた。
※日本が断っているのに、しつこくも四度も嘆願を繰り返し、そのしつこさに根負けするような形でようやく日本側が了承し、条約としての併合が成立したのである。
……わかったか?糞ナメGスポット桑田