マッカーサーの告白は捏造だった!?③
- 2015/03/07
- 17:21







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東条英機首相の証言
昭和二十二年十二月二十六日
東京裁判の証人台にて
東京裁判の証人台にて
《終わりに臨み――恐らくこれが当法廷の規則の上において許される最後の機会であろうが――私はここに重ねて申し上げる。(※極刑を覚悟しての、揺らぐことのない東條首相の意気が感じ取れる-管理人)
日本帝国の国策ないしは、当年、合法にその地位に在った官吏のとった方針は、侵略でもなく、搾取でもなかった。一歩は一歩より進み、また適法に選ばれた各内閣はそれぞれ相承けて、憲法及び法律に定められた手続きに従い、事を処理して行ったが、ついにわが国のかの冷厳なる現実に逢着したのである。(※つまり、追い詰められてしまったのだと言っている-管理人)
当年、国家の運命を商量較計するの責任を負荷した我々としては、国家自衛のために起つということが唯一残された途であった。
我々は国家の運命を賭した。しかし敗れた。しかして眼前に見るがごとき事態を惹起したのである。戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問題と、敗戦の責任いかんの問題とは、明白に分別のできる二つの異なった問題である。
第一の問題は外国との問題であり、かつ、法律的性質の問題である。私は最後までこの戦争は自衛戦であり、現時承認せられたる国際法には違反せぬ戦争なりと主張する。
私は未だかつてわが国が本戦争を為したことをもって国際犯罪なりとして、勝者より訴追せられ、敗戦国の適法な官吏たりし者が個人的な国際法上の犯人なり、また条約の違反者なりとして糾弾せらるとは考えたこととてない。
第二の問題、すなわち敗戦の責任については当時の総理大臣たりし私の責任である。この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず、衷心より進んでこれを負荷せんことを希望するものである。(今時のコウモリ野郎とは異なる本物の日本人の心意気である。まさにこの人こそが英霊だったのだ。-管理人)》(「秘録・東京裁判」清瀬一郎 読売新聞社)
――――――――――――――――――
…………いかがであろうか、この東條首相の証言と先のマッカーサーの証言を対比してみて………
明らかにマッカーサーは、この東條証言を意識して自らの証言を行ったことがわかる。
ウエーキ島での言葉も含めまるで弁護するかのごとき内容となっていることに気がつく。
これは、洋の東西も人種も異なるが、同じ軍人として意気に感ずるものがあったということなのだろう。
「あんな潔い立派な男を卑劣な裁判で死に追いやってしまった」と。
「こちらはもう戦争に勝ったのだから、口で言うことなど、どんなことでもたやすい。いつか何かの機会に無念を晴らしてやろう」
……マッカーサーの頭の片隅には、間違いなくそういう感情があったと私は推測する。
………『しかし、日本はアジア諸国へ侵略し、南京大虐殺をはじめ、現地民に多大な苦痛と迷惑をかけたのは事実ではないか』
未だに上記のようなことを唱える人もいるようだが、そのような人達は、おそらく村山富市のような人物に洗脳されているものと思われるが、歴史の真実については今の時代はいくらでも動画によって過去の時代の様相を実際に見ることができる(20世紀)ので、ぜひ、その検証作業を自らの手でしていただきたいものである。……日韓併合時のソウルの様子であれ、当時の南京の様子であれ……
私は、民主党や社民党にも「あなた方の歴史認識はおかしいですよ。間違ってますよ。」と何度も動画や正確な文書の資料を送信したが、呆れたことに、この連中は、そういう正しい証拠を添えた話について、聞く耳を持とうとしないのである……………(菅直人などは更に非常に悪質な政治家だ。こいつは、日本人から親近感を得るために弘法大師空海まで利用してるのである)これは、皆さんよく御存知の通り、朝日新聞、毎日新聞、中日新聞、神奈川新聞等にも見られる傾向である。
教えても教えても嘘の世界にへばりつこうとするのである。
要するに、《我々在日朝鮮人は被害者なのだ。日本が侵略したために生まれた犠牲者なのだ。だから、日本人には様々な権利を主張できるのだ。》という所を崩されると都合が悪い、嫌なわけである。
それで、教えても教えても延々と嘘の世界にへばりつこうとするわけである。
その中でも最も性悪で質が悪いのが村山富市である。
こういう白髪頭の、あたかも歴史の生き証人のごとくの年齢の人物が真顔で捏造を敷衍すると、どうしても「……そうなのかぁ」と多くの真面目な人間が釣られてしまう。
この村山は以前、どこかの番組で「東南アジア諸国に行って、わかることは、皆さん日本人に虐待されたということは口には出さない。しかし、雰囲気として強く感じるんです。どこへ行っても」などと語っていた。
こういう邪悪な、日本人を貶め国体破壊を謀る輩は、国家転覆内乱罪を適用して処刑する以外にないと私は考える。
村山の話が、嘘か本当か、では、その辺の真実に迫る東南アジアの現地発の以下の動画を見て頂こうではないか。

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【KSM】親日国 パラオは今でも日本を愛している 「帝国軍人が貴様らごとき土人と一緒に戦えるか!」
インドネシアが世界一の親日国である理由
日本人は心優しき侍/世界から感謝される日本【独立アジアの光】
※アジア諸国が親日であることを示す現地の証拠を掲載した動画は他にも多数あり。
これらの動画もまた、東條首相の証言が嘘ではなかったことを裏付けるものとして注目されている。
村山よ、お前のような者がいるために《ウソつきは朝鮮人の始まりだ》と言われるのである。
おまけ
◎毛沢東の証言
-以下転載-
-昭和39年7月10日、佐々木更三氏(社会党議員団)をはじめとする中国訪問団は毛沢東主席と会見した際に、毛沢東主席は下記『』のような挨拶を行っています。
『私はかつて日本人の友人に次の事を話したことがあります。日本の友人たちは、皇軍が中国を侵略して申し訳ないと言いました。私は、いいえ、と言いました。もし、日本の皇軍が中国の大半を占領していなかったら、中国人民は団結して、これに反対して闘うことができなかったし、中国共産党は権力を奪取することができなかったでしょう。ですから、われわれにとって、日本の皇軍は立派な教師だったのです。
佐々木 今日、毛主席から非常に寛大なお話を伺いました。過去、日本の軍国主義が中国を侵略して皆さんに大変ご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います。
毛主席 なにもあやまることはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。日本の皇軍なしには、わたしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、私とあなたの間には、意見の相違と矛盾がありますね。
佐々木 ありがとうございます。
毛主席 過去のことははなさないようにしましょう。過去のことは、ある意味ではいいことでもありましたし、われわれの助けになりました。ごらんなさい。中国人民は権力を奪取したではありませんか。』
社会主義の理論と実践(1964年9月号)
毛沢東主席と会見記録(全文)
と き 1964年7月10日
ところ 人民大会堂
毛沢東主席との会見記録
中国共産党政府の最高指導者である毛沢東主席は、1964(昭和39年)7月10日、日本社会党訪中団の佐々木更三団長が、戦争について謝罪したのに対して、「なにも謝ることはない、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。お陰で、中国人民は権力を奪取した。日本の皇軍なしには、私達が権力を奪取することは不可能だった。……もう過去のことは、話さないようにしよう。……」と述べている。
(毛沢東主席と会見記録)………「社会主義の理論と実践1964年9月所収」
【※毛沢東の口からは、南京大虐殺のなの字も出てこない。もし、南京大虐殺が本多勝一の創作ではなく史実であったとするならば、この時この時点において毛沢東がこんな発言をするわけがない。
いかがでしょうか?在日朝鮮人の皆さん。中国共産党な皆さん。
『なにも謝ることはない、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらした。お陰で、中国人民は権力を奪取した。日本の皇軍なしには、私達が権力を奪取することは不可能だった。……もう過去のことは、話さないようにしよう。』とのことです-管理人】
日中間における事変当時の中国の混乱
清国政府が倒れたあと、中国では、幾つかの軍閥が入り乱れての内戦を果てしなく続け、また各地に馬賊、匪賊が跋扈して、その各軍閥、馬賊、匪賊のいずれもが、一般住民を襲って暴行、略奪虐殺を繰り返していたので、一般住民は右往左往して逃げ回っていて、国家としての自立能力がまったくなかった。(ラルフ・タウンゼント「暗黒大陸中国の真実」(芙蓉書房)に実例が詳しく載っている)
日本軍の行動
その様に、社会の秩序が滅茶苦茶になつている中国で、日本人居留民を保護するために、契約上、駐留していた日本軍は、日本人居留民や日本軍を襲撃してくる各軍閥や馬賊、匪賊、ゲリラに対しては、すべてを鎮圧したが、一般住民は、全く攻撃の相手ではなかった。そして、特に中国共産党の強敵であった国民党軍には大打撃を与えて、重慶まで追い込んだ。
先の戦争は侵略戦争ではない
毛沢東主席が「日本軍なしには、中国共産党は権力を奪取できなかった」と言っているのは、日本軍が国民党に大打撃を与えてくれたお陰で、御年の中国共産党と国民党軍の内戦で、中国共産党が勝利することが出来たのだ、と感謝しているのである。
当時、日本軍の占領地区は、馬賊、匪賊、小軍閥の 動を日本軍が制圧して、治安が回復し、日本軍はインフラの修復、整備を進めて、産業が徐々に回復したので、右往左往して逃げ回っていた中国の人達にとって、日本軍占領地区が、中国の中で一番安心して生活できる地域に変わっていて、その頃の中国の文化人達は、リンカン区(日本占領地区)は楽園に変わったと喜んでいた。
日本人の知識人の中には、「日本は侵略戦争をして、悪いことをしたから、誤るべきだ」と思い込んでいる者が多いが、その当時の中国は、清国政府の時代に、西欧列強に別図の様に漸次蹂躙され、清国政府が倒れたあとは、国内の秩序は、混乱を極めて、国家としての自立能力が全くなかったことを考えてみたらよい。
だから、その当時、若し日本軍が大陸に駐留していなければ、中国は西欧列強のイギリス、フランス、ドイツ、ロシアに分割統括されるしかなく、同じ様に国家としての自立能力がなかった朝鮮半島は、ロシア領になってしまうしかなかったから、現在の中国共産党政府も、韓国政府も生まれていなかった。
そして、朝鮮半島がロシア領になれば、日本の独立も危うくなることは、自明の理であった。そこで日本の独立を守るために、日本は契約によって大陸に軍隊を駐留させて、西欧列強の拡大を防ぐとともに、秩序の混乱した中国で、日本人居留民を守るために必要な軍事行動は、侵略戦争とは言わない。-後略-
-転載ここまで-
――――――――――――――――――
※この毛沢東の証言は捏造ではないようである。
愛国行進曲
四海の人を導きて
正しき平和打ち立てむ
理想は花と咲き薫る
今幾度か我が上に
試練の嵐 哮る(たける)とも
断乎と守れその正義
進まむ道は一つのみ
………………
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