南京大虐殺-これがその時の映像だ!!中国共産党よ、反論してみせよ
- 2015/03/12
- 03:25


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大虐殺はいつ行われたのでしょうか?
南京陥落当時の貴重な映像(1of5)
南京陥落当時の貴重な映像(2of5)
南京陥落当時の貴重な映像(3of5)
南京陥落当時の貴重な映像(4of5)
南京陥落当時の貴重な映像(5of5)
南京陥落当時の貴重な映像(6of6)
……動画のコメント欄を見ると、「これは、日本軍がいかに真面目で上品であったかをアピールするために作られたプロパガンダフィルムだ」といった類いの書き込みが散見する。
ちょっと待って頂きたい。
………
この記録を行った人達は南京大虐殺の証拠写真云々といったことは頭の中に存在していないのである。(まだ)
そういう怪しげな日本の悪評に対抗して作ったわけでも何でもないわけである。
そういう話が出てくる前の段階の、ただ日本軍の記録映像として撮っているだけなのである。
日の丸の竿に鳥籠がかかっている風景……
これが仮に作為的な作られた風景であったにせよ、鳥籠に小鳥が入っているのは紛れもない現実である。
この時の南京は
市民が小鳥を飼う状況にあったということである。
爆竹を鳴らして遊ぶ元気な子供達、その横を普通に通り過ぎる日本兵……
子供の顔の表情に注目。
許可証を貰うために行列を作る南京市民………
虐待されてるはずの南京市民の皆さんが栄養失調には見えないのはなぜなのか?
そして何より、日本軍はこれから虐殺する者に対してこういうサービス、気配りをやっていたということなのか???
どういう光景なのでしょうか?これは
◎南京大虐殺
残虐行為について-
……日本軍は、南京への進撃中から諸種の残虐行為を行ったと言われている。
その為、南京周辺の町村において、被害の報告が挙げられている。
また、1937年12月13日の南京陥落の翌日から約6週間にわたって行われた南京城の城内・城外の掃討でも、大規模な残虐行為が行われたと言われている(城内は主に第16師団(師団長:中島今朝吾)が掃討を行った)。
市民への虐殺
市民への虐殺については、そのことを直接指示する命令書は確認できないが、当時、戦闘に参加した日本軍将兵の多くが、女性、子供を含めた市民を無差別に殺害するよう指示を受けたことの記録や証言を残している。
被害者側である中国人の証言からも、理由もなく暴行を受けたり、家族や周辺の人々が殺害されたことが多く確認できる。
当時南京に残留して南京国際安全区委員長を務めていたジョン・ラーベは、安全区の警護のために残されていた警察官全員や発電所の技術者が、日本軍によって大量殺害されたことを記録に書き残している。
捕虜・投降兵の虐殺
第16師団長である中島今朝今朝吾中将は、日記において、捕虜を取らず、殺害する方針であることを書いている。この方針に基づいて、南京城内外での掃討で、多くの捕虜や投降兵が殺害されたのではないかと見られている。
南京の北方に位置する幕府山では、山田支隊(第65連隊基幹、長・山田栴二少将)が捕虜約14,000名を殺害したと言われている。山田少将は、この処置は上部組織からの命令であったことを日記に書いている。
南京北部の下関では、捕虜が収容された後に殺害され長江に捨てられたことが、日本側、中国側、そして残留外国人の記録や証言に示されている。
第114師団第66連隊第1大隊の戦闘詳報では、旅団命令によって捕虜を殺害したことが記録されている。
―――――――――――――――――
吹きも吹いたりと言った所である。
最大の謎は、『中帰連(中国帰還者連絡会)』という輩は、なぜ日本に帰ってきてまで嘘をつき続けるのか?
という所である。
次の記事では、その秘密に迫る。

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