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中国における日本軍の蛮行を記した有名な書物に『三光』という本がある。
私は20年程前に、たまたま古本屋でこの本を見つけ、その内容の凄まじさ、悪どさに驚いた。
話の著者達は、中国帰還者連絡会という。当時の所属部隊名から実名まで公表している。
『南京大虐殺は嘘、なかった』-私は、つい数年前までこの種の説を唱える者を、逆に真実を隠蔽しようとするいかがわしい輩と考えていた。
………では、なぜ、…彼らは日本人でありながら帰国後も自らを卑しめる嘘をつき続けるのか………?
正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現さんより-
-以下抜粋-
TBSに中帰連登場!反日戦争証言特集で近藤一「偉大な中国に人間ではないことをした」・バレバレ
・2014/08/16 10:32
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………支那共産党による、いわゆる「戦犯」(正確には「違法に拘留した捕虜」)への洗脳についての説明を紹介する。
以下「あやしい調査団・ 満洲どよよん紀行」撫順2(戦犯管理所と戦犯裁判)より抜粋
中共建国の翌年の昭和25年(1950年)、日ソ友好条約の締結時、一部の捕虜はスターリンから中共にプレゼントされ、撫順に収容された。
いよいよ、後日、彼ら自身に「鬼から人間に戻った」と言わしめる洗脳が始まったわけである。
戦犯の処置は新中国の重要な国家政策として周恩来が直接指揮をとり、管理は司法部ではなく公安部が担当した。公安部長の羅瑞卿は、延安で多数の日本兵捕虜を洗脳して、日本軍の正面に送り出してきた捕虜政策のエキスパートであった。
一方ハルピンの尉官級以上の人たちも「学習」が続けられ「総括書」を書かされた。これは、学習して得た共産主義の認識に基づき、過去の自分を自己批判しろということである。
罪は重くても完全に共産主義思想になったものは許す。逆に軽微な罪行でも思想を改造できないものは重く処罰する、としつこく繰り返された。
中共側は共産主義思想に転向してこそ初めて過去の旧思想時代の犯罪を自供できる、と主張していた。
つまり「思想改造」と「認罪」の同時工作であり、中共国内の反革命分子に行使した方法と同じであった。
尉官以上の人が取り調べを受けたのに対し、下士官・兵は坦白(※罪や誤りを告白する,白状する)大会の方法がとられ、自分たちで自らを洗脳していった。
ソ連のラーゲリに居た頃も下級兵士ほどアクチブになり易かったのだ。
「認罪運動」
そして本格的な取り調べが開始された。「坦白するものには軽く、逆らい拒むものには重く」という取り調べの方針が告知され、そのスローガンは所内の至る所に掲示された。これをきっかけに「認罪運動」というものも始まった。
「私はこんな酷いことをした」と戦犯全員の前で自白する発表会がもたれた。
この「坦白大会」には、中共党幹部も同席し、管理所の洗脳工作経過を視察するものであったが、戦犯達も自分が何を要求されているのかが判り、いよいよ追いつめられていった。
認罪学習は、徹底して行われた。みんなでしつこく何回も何回も犯罪行為を確認し、自己批判・相互批判が繰り返された。
「学習」とは言うものの、罪の自白とつるしあげ合戦である。「なんだ、それぐらい、俺なんかもっと凄いもんね」「お前、それぐらいじゃ足りんだろう」などとエスカレートしていったのだった。
工作員(取調官だが、なんともストレートな名前である)は、一人ひとりについて何年もかけて集めた証言、告発書をもとに尋問した。つまり、罪状は最初から決まっており「自白すれば軽く、拒めば重く」と言われれば、工作員の言うままに合わせるしかない。
毎日呼びだされ、尋問を受ける。尋問というより説得であった。総括書は出す度に点検され、ここが違うとか、こう書けとか注文された。
相手の予定調書と違ったことを自白すればそれは自分がウソや間違いを言っていることになるのだ。
こういう経過で、日本語にはない罪行や、中共側のでっち上げや過剰な言い分まで認めざるを得なかった。
とにかく、一日でも早く日本に帰りたい、そのことしか頭になかった。
また、中共側は余計な自白を歓迎した。
本人の罪状だけでなく、伝聞した日本軍の罪状まで採集していった。
戦犯たちは総括書という形で、文章にして提出した。当然、文章の巧拙や想像力の大小によって、罪業に迫力の差がでてくる。
文章の上手い戦犯はほめられ、他の戦犯の文章指導や代筆までやり、悪鬼そのものの日本軍が作成されていった。
監禁されるとその苦痛や憤り、自己崩壊から逃れるため、加害者の立場に自分を置こうとする場合がある。
相手側の一員になった気持ちになるのだ。
撫順に収監された戦犯の中で、下士官・兵などは特に戦争犯罪など起こしていない人ばかりである。
理由もなく6年も監禁されたのに、自ら戦争犯罪人を認める自白をし、そのうえ不起訴になったら中共の温情に感謝する、看守達と抱きあって泣いたりしたのだ。
このように、撫順戦犯管理所に収容された日本軍将兵たちの6年間は「坦白大会」などの「認罪運動」による「洗脳」の日々だった。
そして、何年も洗脳され続けた後にやっと釈放された無実の元日本軍将兵たちだが、驚くべきことに彼らの殆どが日本に帰っても洗脳が解けないまま余生を送った。
同様のことは朝鮮戦争で人民解放軍に捕まったアメリカ兵にも行われた。
朝鮮戦争の後半の昭和27年(1952年)、北朝鮮と共産支那は「米軍がコレラやペストなどの細菌に感染したハエ、ノミ、ダニを北朝鮮上空から多量に投下した」と非難した。
その後、支那は細菌戦が満洲にまで拡大しているとの宣伝を始めた。
当然、米軍は全面的に否定し、この問題の真相は謎となっていた。
ところが、平成10年(1998年)になりロシアで、ソ連時代の秘密文書が公開され、共産支那と北朝鮮のでっち上げだったことが判明した。
言い出しっぺは支那で、北朝鮮が追従したのだった。
興味深いのは、支那が「細菌戦に従事した」という米空軍捕虜19名の供述書を公開していたことだ。
序文で「アメリカは石井部隊から細菌戦を受け継いだ」とし、供述は微に入り細に入り、あたかも事実のように具体的に述べられていた。
フランス人作家が北朝鮮で供述書に署名した米空軍兵士2名と面会した。
米兵の一人は、大げさな決まり文句を並べ「供述書の内容は本当だ」と言い張った。
だが、もう一人は「自分の供述はたわごとの寄せ集めで、署名したのは無事に帰国したいためである」と語った。
撫順監獄の出来事を彷彿させる話だ。
後日、米国に帰国した捕虜達は、供述書の取り消し書というのに署名したが、署名したのは四分の一だけだった。
残りの4分の3は、米国に戻っても洗脳が解けることはなかったのだった。
人気ブログランキングへ 話を元日本兵に戻そう。
昭和32年(1957年)、被洗脳者を多く含む反日元日本兵たちが「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成した。
中帰連には、撫順・太原からのいわゆる「帰国戦犯」の約半数が加入した。
「中帰連」は、南京大虐殺を否定した河村たかし名古屋市長に抗議した「日中友好協会」にも団体加入し、親中国、反日、反台湾運動を展開した。
中帰連の連中は、1970年代の南京大虐殺ブームでは「南京大虐殺」関連の作文を多数発表し、1980年代の731部隊ブームでは「731部隊」関連の作文を多数発表した。
▽真実▽
これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。
質問6:
南京大虐殺の証言の多くは戦後かなり後になって作られたものですか?
回答6:
そのとおりです。
証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。
そのため、最近では日本人に関しては匿名の証言が作られるようになりました。また、中国人の証言の多くは中国政府(中国共産党)が南京大虐殺の宣伝に力を入れ始めた以後に作られた(記録された)ものです。しかも、証言はその証人が本物か、証人は実際に当時の南京にいたのか、内容は真実かなどの検討が可能であって初めて意味を持つのです。
みなさんも本や被害者だという人の証言をうのみにするのはやめて、自分が裁判官になったような気持ちで自分の目で証拠(当時の記録)を確実に検討してみてください。そうするといわゆる南京大虐殺は、実体のないものだということがわかります。証言については、その証言がいつ記録されたのかをまず確認しなければなりません。例えば、もしあなたが、匿名やその場にいたかどうかも証明できない人の、しかも事件から何十年後にされた証言だけで、犯罪者とみなされたら納得できるでしょうか。
上記のように、南京大虐殺や731部隊などについて、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
『南京大虐殺 記憶の暗殺――東史郎はなぜ裁判に負けたか』
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東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。支那じゃ未だに真実扱い
中山重夫…戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが場所時間がコロコロ変わったのでうそがばれた
永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明
舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×
曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、秦郁彦も騙された
田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状
太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった
富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた
上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し
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●関連サイト
偽造資料、ニセ証言者たち
『韓国の大量虐殺事件を告発する―ベトナム戦争「参戦韓国軍」の真実』北岡俊明著, 北岡正敏著(2014/06)
『マスコミ堕落論-反日マスコミが常識知らずで図々しく、愚行を繰り返すのはなぜか』西村幸祐著(2014/7/15)…-後略-
-抜粋ここまで-
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中帰連の連中がなぜ日本に帰ってまで嘘をつき続けるのかについて、これらのお話からわかることは
〇6年にわたって死と背中合わせの拷問のような洗脳が行われたということ。
〇洗脳を施した撫順戦犯管理所の羅瑞卿らは国家政策としての催眠洗脳のスペシャリストでもあったらしいということ。
〇マスコミが飛びつくような驚くべき話をすると、歴史の生き証人として公演の依頼が来たり、本が売れたり、要するに金になるということ。
だいたいこのようなことが理由としてあげられることは間違いない。
………しかしである。
『いかに、洗脳が重かったにせよ、自分の国に帰って来れば、せいぜい5年か10年で元のまともな状態に戻るはずである。中国政府が日本に帰った者を捕まえて殺すことなど不可能なのだから………』
あなたは、そのように思わないだろうか?
そう、………この部分がどうしても解せないのである。
40年も50年も捏造の作り話に浸ってるという様は、どう考えても尋常ではない…………
その謎を一気に氷解させる答えが、この「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」さんの記事の添付画像の中にあった。
その画像とは
◎撫順戦犯管理所の中庭に中帰連が1988年に建てた「謝罪碑」の写真である。(※当ブログ当記事添付画像一枚目)
この写真の意味することがおわかりであろうか?
………わざわざ、中国まで“謝罪碑”なるモニュメントを建てに行ったというのである!(1988年)
日本国内では、びっくりするような話をすると金になる、だからと言って、中国まで行ってモニュメントを建てる???
………そんなアホなことまでしてられるか!
普通はこう↑であろう。
要するにこれは、この中帰連という輩は、未だに中国と利害関係が存続しているということを語ってると見て間違いないのである。
よく考えてみて頂きたい。
一体どんな会話をするというのか???
「あの頃収容されていた日本の戦犯です。あまりにも申しわけないので謝罪碑とでもいうモニュメントを建てさせて下さい」
「はあ、…それは凄い話だな、まあかまわんが…」
………こんなやり取りをやったというのか?
つまり、実際に行われたやり取りはこういうことだ。
《おう、お前らよく来た。重要な証言の後押し作業だ。以前話したが、日本は必ず中国の一部になる。その為の段取りは万全に整っている。今まで通り、お前達は、日本軍の悪逆非道さを世界に喧伝してくれ。そうすれば、日本が日本自治区となった暁には、最大の功労者として破格の扱い、褒美を約束する。※もちろんお前らはもう高齢なので、子孫に対してそれを保証しよう。モチベーション保つためにもな》
……どうでしょうか?中帰連の皆さん、当たらずも遠からずでしょう。
中国共産党は、国を上げて南京大虐殺の捏造を行っている。しかし、いつか何かの決定的な証拠から(先の記事の動画のような)嘘がバレた時、日本政府は当然怒って制裁を考えるだろう。所がその時、『他ならぬ日本の帰還兵当人が残虐行為を証言してるではないか!』ということが、最大の防波堤的切り札になるわけである。
中国が日本を本気で征服しようとしていることは、第二期工作要綱や李鵬の言葉からも明白である。
また、民主党政権時に、小沢一郎が大量の議員を率いて中国に朝貢訪問を行い胡錦濤に大っぴらな媚売りを行ったことは記憶に新しい。(※この時日本は、李鵬の予言通り中国の属国になりかけたのである)
◎要必見
第二期工作要綱とは
〇民主党の電話対応
nmqphakase
2010/06/11 にアップロード
この動画の丁度9分頃に注目。
民主党員『日本てのはな、中国になるんだから。何やってもいいんだ!!』
〇中帰連・撫順戦犯管理所洗脳プロセス(南京関連)
……コメント欄より-
《JaysJ (2010/05/03)
戦争に負けるってのはこういう事なんだよ。 真実とか嘘とか奇麗事は関係ない。 連合国側の中国朝鮮が勝者で日本が敗者ただそれだけ。
根本的に考え方がおかしい「戦争」ってのはそういうことなんだよ、理屈じゃない。 勝った側が負けた側を戒めて何が悪い。 文句言いたいなら戦争で勝って言え。》
………ちなみに、このコメントが日本に寄生して巣食う在日朝鮮人のコメントであることは言い回しから見て間違いない。
連合国側の中国朝鮮???泣きついて併合を嘆願してきた朝鮮が連合国側?
勝った者、強い者には徹底して媚びへつらう、負けた者、弱い者にはとことんつけ込む……
在日というのは、まあこういう生き物なのである。知らない人は早く気づいてもらいたいものである。
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