八紘一宇=【大東亜共栄圏】アジア解放・人種平等の実現《日本が行なった人類最高の功績だ》 Eduard van Thijn
- 2015/03/20
- 04:32

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三原じゅん子議員の八紘一宇発言に、寄生虫在日朝鮮人と洗脳の覚めない一部の日本人が噛みついているようだが、その八紘一宇の号令の元に起こされた日本人の行動によって植民地を奪われ開放されてしまった国の市長が、日本人が自分たちの植民地を奪ったことを以下のように評している。(……日本に巣食う寄生虫にして国体破壊の偽ユダヤ人の駒、在日コリアンどもよ、 東南アジア諸国は日本が西欧列強から奪い取って、取って代わって植民地にしたわけではないぞ。歴史の真実を直視しろ)
【大東亜共栄圏】アジア解放・人種平等の実現「大東亜戦争こそ、日本が行なった人類最高の功績だ」アムステルダム市長
アムステルダムの光芒【照らされた日本の誇り】
「凛として愛」Ι掲示板-Teacupさんより-
エドゥアルト・ヴァン・ティン アムステルダム市長
アムステルダム市長で、その後オランダの内務大臣に選ばれたエドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)氏の言葉です。(日本ではよく、「サンティン」と誤って呼ばれています)※サンティンなる名前のアムステルダム市長は存在したことがない=つまりこの話は国粋主義の右翼が作った捏造だ!と鬼の首を取ったように左翼在日が唱えているが、残念ながら、名前のルビを間違っただけというのが真相とのことである。-管理人
※( Ed van Thijn - Wikipedia http://nl.wikipedia.org/wiki/Ed_van_Thijn )
平成三年、日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、市長主催の親善パーティでのエドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)アムステルダム市長(後の内務大臣)の歓迎挨拶を、憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平次郎(平成9年3月14日逝去)が録画していたのを、後に、(財)日本国防協会理事の浅井啓之が文章に起こし、平成6(1994)年3月24日作成したのが下記である。
-「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私共のオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私達オランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝った筈なのに、貧乏国になってしまいました。
戦前は「アジア」に大きな植民地(オランダ領東インド(蘭印)=ほぼ現在のインドネシア)が有り、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。
しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。
あなた方の日本国は、「アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけた」と、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。
あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すと言う人類最高の良い事をしたのです。
何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先の事のみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪い事をしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は、私共白色人種が悪いのです。
百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。
植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。
本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。
日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。
即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わったのです。
その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。
日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑む事を止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」
(植民地を奪われた敵国首都の市長が公にこんな発言をするはずがない………つまり、これは捏造だ!-そのような見解がネット上において主流になっているようだが、所が日本の八紘一宇を評価した外国の要人はこの人だけではないようである。-管理人)

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(2)大東亜戦争の名言集
第二次大戦は日本は悪とされていますが、世界はどう評価しているのでしょう?
・マッカーサー(米軍最高司令官)
(日本には)石油が無い、スズが無い、綿が無い、ゴムもない。その供給をすべて絶たれたら、どんな小国でも戦争を決断する。
(※以前の記事で詳細に説明したが、マッカーサー証言の中に『その供給をすべて絶たれたら、どんな小国でも戦争を決断する』という文言は見当たらない。ただし、ここでこの人物が言ってる内容、趣旨は、『1200万人もの失業者を出すことになる……日本が戦争に突入した理由の大部分は安全保障の必要性に迫られてのことだった』というマッカーサーの実際の言葉と比較して、方向性としては外れていないと言える)
・トインビー(イギリス歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
・ラティモア(中華民国顧問)
日本が立派にやり遂げたことは欧米の植民地帝国を完全に破壊したことである。
・ブン・トモ(インドネシア元情報相)
「あの戦争は、我々の戦争であり、我々がやらなければならなかった。それなのに、全て日本に背負わせて、日本を滅亡寸前まで追い込んでしまった。申し訳ない!!」
・バ・モウ(初代ビルマ首相)
「我々を白人支配から救い出してくれたのは、日本だった。我々は、大戦終盤に日本を見限ったが、その恩は忘れない。日本ほど、アジアに貢献した国は無い。日本ほど、誤解を受けている国は無い。」
・プラモード(タイ首相)
「日本のおかげで、アジアは独立できました。日本というお母さんは、母体を壊してまでも、アジア諸国という子供を産んでくれました。今日、アジア諸国が欧米と対等に話ができるのは、誰のおかげか。それは、自らを殺してまで産んでくれた、日本というお母さんがあったからだ。我々は、お母さんがお産を決意した12月8日を、全ての力を出し尽くし私達の国を産み力尽きた8月15日を、忘れてはならない。」
・ウ・ヌー(ビルマ外相)
「高い理想と目的の高潔さに動かされたある国が、アジアの独立と民衆の解放に、生命と財産の全てを犠牲にした。その国の名は、『日本』という極東の島国だ。」
・ネール(初代インド首相)
「彼ら(日本)は、謝罪を必要とする事など、我々にはしていない。それ故インドは、サンフランシスコ講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない。 」
・ジャマル・アリ(インドネシアタイムス会長)
「我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って、歴史とプライドがある。お金を出せなどとは、360年間わが国を支配したオランダにさえ要求しない。」
・アラムシャ(インドネシア陸軍大将)
「日本には、あと5年頑張って欲しかった。そうすれば中東とアフリカは、もっと早く独立できたはずだ。中東もアフリカも、こんなに苦しまずにすんだはずだ。 」
・ナセル(第2代エジプト大統領)
(第三次中東戦争で惨敗後)「アジアには、日本がいた。アラブには、日本がいない。」
-転載ここまで-
――――――――――――――――――
………連合国側はなぜ、八紘一宇を槍玉に上げて批判したのか?
それは、東京裁判の真の主宰者であるイルミナティ三百人委員会の掲げるワンワールド、新世界秩序、NWOに真っ向対抗する思想だったためである。
どちらも《世界を一つにする》という思想ではあるが、その内容が0を支点に正反対のものだったからだ。
片方は、一部のエリートのために世界を一つにし、他の人間を奴隷家畜として永遠に奉仕させるという内容。
もう片方は、それぞれ皆がそれぞれを尊重しあいながら、世界を一つの家族にするという内容、天皇陛下はあくまで《その思想の中心的存在》。
この二つの思想が世界中に知れ渡った時、大多数の人間はどちらを支持するか?
………………
そのために偽ユダヤ人悪魔教徒にとって、何としても早いうちに闇に葬らねばならぬ思想だったわけである。
驚くべきことに、朝鮮人の中にも日本の八紘一宇、大東亜共栄圏の思想に賛辞を送る人物が複数いた。
………
韓日文化研究所 朴鉄柱
大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。
伊藤博文暗殺犯 安重根
日本の天皇の宣戦書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。
そのような大義は青天白日の光線より勝っていたのであり、韓・清の人々の智恩を論ずることなく、みな心を同じくして、賛同し服従したのである。
もう一つは、日露の開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、前日までの日本に対する仇敵の心情がたちまち消え、かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、これまた人情の順序であり、理に合うものであった。
快なるかな、壮なるかな。
数百年来、悪を行い続けてきた白人種の先鋒が、鼓を一打したたけで大破してしまったのである。
日露戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。
だからこのとき韓・清両国の有志は、はからずも同じように、自分たちが勝ったように喜んだ。
韓国元大統領 朴正熙
私は貧農の生まれで、学校に通うなど思いもよらなかったが日本人の役人が両親を説得して小学校に行く事が出来た。
そしたら学校の教師がお前は頭が良いから無料の師範学校に行った方が良いと推薦してくれた。
師範学校では更に優秀さを認めてくれて陸軍士官学校に推薦してくれた。
その結果士官学校首席として日本人同期生のトップで卒業し、陸軍将校に成る事が出来た。
今の私が有るのは清廉で誠実な日本人達のおかげである。
内閣総理大臣 陸軍大将 東条英機
開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。
今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。
これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。
従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。
――――――――――――――――――
東條首相は、「今回の処刑は個人的には慰められるところがある」と書き残していたのである。
この人は、決して戦争など望んでいなかったということが、痛いほど伝わってくるではないか。
自分の号令、指揮の元に多くの人間が死んだ。
ずっとそういうことを悩んでいたわけである。
もし、大東亜戦争が日本の邪な侵略が動機であったとするならば、その中心的存在であった人物の口からこんな言葉が出てくるはずがない。「悪いのはあいつだ、こいつだ、俺は悪くない」と責任転嫁、命乞いに終始していたはずである。
更に、「自分の責任は、死をもって償えるものではない」とまで言っている。
この言葉の裏には、「和をもって尊しとせよ《※これは元々孔子の論語 第1卷 学而第1節にある、「有子曰 禮之用和爲貴」(礼を之れ用ふるには、和を貴しと為す)からの引用と言われる》」という聖徳太子の教えに背いたという自責の念があったのではなかろうか。
このような人物が中心となって八紘一宇大東亜共栄圏は推進断行されたのである。
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