気象兵器やワクチンを操っている連中は、もっと気合いを入れて中国人朝鮮人の人口を減らせ。こいつらがこれ以上増えることは宇宙にとって災い以外の何物でもない。更にそれより千倍重大なのは、アマゾンや東南アジアの森林を焼いている人間の問題である。これは最早理屈、説教の次元ではない。問題の根は人口である。緑が消え、火星や月のようになってから事の重大さに気づいても手遅れだ。
-以前の記事において、臓器移植は悪魔の所業であると書いたが、それはどういう話かと言うと、安楽死、延命治療、臓器移植と今色々と話題になっているが、自然の状態にあっては死んでいるはずの者を無理に延命してはならないということである。
当然の話である。
自然界にあっては、全ての生物は襲ってくる悲しみの運命を受け入れることによって生態系のバランスを保っている。
それを、辛いから嫌だ、悲しいから嫌だと拒否していたら一体どういうことになるか?
人間ばかりが突出してうじゃうじゃと増えると自然界のバランスはどうなってしまうか?
「人間は他の動物とは違う、人間と他の動物を同じにしてはならない」
あなたはそう思われるだろうか?
確かに人間は他の動物とは異なる。虎もライオンもアナコンダも生きていく上で必要以上のものは欲しがらない。人間は生きていく上で必要なものの五倍も十倍も際限なしに欲しがる。
悲しみを否定した世界は“嘘”である
嘘の世界の住民になりたいなら無理な延命もよかろう
悲しいのは嫌だ、辛いのは嫌だと無理やり嬉しい方、楽しい方を選択した場合、要するにそれは、自然の法則、森羅万象の正律を維持する法則に逆らったということになるわけである。
人間はこの世に生まれた以上は、常に健全な意味での向上心を持たなくてはならない。昨日より今日、今日よりは明日と…
これは、宗教ではない。親が子供に言い聞かせるような当たり前のことである。
悲しいこと、辛いことを否定して楽ばかり取っていると、わがままで未熟な精神のまま、どんどん豚のように醜くなっていくだろう。
もう自分に残された時間は僅かしかない、しかしその残された時間の中で精一杯のことをやろう-
そこに、格調高い崇高なものが生まれるわけである。
それを、一々拒否していたら、『お前は一体何が目的で生きてるんだ?』という話になる。
人間は五感の欲求を満たすためにこの世に生まれてくるのか?
辛いことに耐え、辛いことを受け入れることによって人間は今以上の自分へと成長していくことができる。
避けることのできない取り返しのつかない悲しみを前にして初めて見えてくるものがある。
死を目前にしたからこそ重みのある去っていく者の言葉、日々の生活の中で本当に値打ちのあることは何だったのか、全てを失いこの世から消えていこうとする者が初めて知る世界、支え合う真の心の喜び、痛みを分かち合おうとする心がもたらす安らぎ…
そういうことを深く知って死と引き換えとするか、それとも悲しみを否定してハッピーライフをエンジョイする道を取るか。
悲しみがあるから魂が磨かれる。人間は崇高になれる、美しくなれる。
もし、人間の心が悲しみを否定する構造であるならば、悲しみをテーマにした歌がヒットするわけがない。
ちあきなおみの「喝采」も沢田知可子の「会いたい」も、花*花の「さよなら大好きな人」も皆、悲しみをテーマにした歌だが爆発的にヒットした。
なぜなのか?
……何この歌、全然楽しくない、暗くてやだわ、うっとうしいわ……
というふうにはならなかったわけである。世間の反応は…
それは、人間の心の奥の奥、底の底が『悲しみを否定した世界は嘘だ』ということを知ってるからに他ならない。
臓器移植の問題点について更に指摘すると、まず、〇億の金を積むと不思議とドナーが現れる-という所。
親が自分の子のために自分の臓器をというのは自然なことで、それについては異論はないが、小さな他人様の子供が自分の子のために人生を終わらせることについて、臓器移植のために億の募金をされる親御さんは、もう少し厳粛に考えてはいかがか?
ドナーの素性について、『一体どうして、こういうことになったのか?この子供は本当に助からなかったのか?(※この事自体が大事件のはずだ)』と、とことん追究するのが当たり前であろう。
“ドナーが現れました!”とニュースキャスターは嬉々とした表情で言い、新聞の見出しなどには《急げ、命のリレー!》などと書かれるが、糞食らえといった所である。
〇ドナーカードについて-も、よく《自分は死んでも、他の人を助け、その人の中で生き続ける……素晴らしいことじゃないか!》という発想をする人が多いようだが、これについては前の記事で触れたが、地球にとっては迷惑千万な話で、この地球の自然環境の中において人間はそんなことをしてまで生き残る価値など全くない
もし、価値があるというなら、どのような価値があるのかどなたか厳密に説明して頂けないだろうか。
〇脳死の不確かさ-これは最近になって色々と指摘されてることだが、脳死とされた人は、実は、ただ筋肉を自分の意思で動かせなくなっただけで、意識自体はしっかりしている…そのようなケースが多々あるということ。
それを、億の金を積まれたもので、どうせもう“脳死”なのだからと、麻酔もせずに………