



私がよく通る道の住宅地の一角に、野良猫が数匹生息している場所がある。
私の家からは2km程の場所である。
全部で何匹なのか正確な所は不明だが、10匹前後のように思われる。
その野良猫の中で、昨年の確か7月頃に子猫が2匹、目に止まるようになった。所が、そのうちの一匹は何かの病気を患ったようで、私も牛乳などを運んでやったが、やがて目につかなくなった。
そして、生き残った一匹の方が、今年の6月頃に出産したことがわかった。
私はこの時、まだ体も成猫の半分程の大きさしかなく、ピョンピョン跳ね回って遊びたい盛りの人間で言うと12,3歳位の子供のようなもので、とても子育てなど無理だろう。ましてや野良猫で満足な餌も食べられずおそらく手に負えなくなって産んだ子は何匹か知らないが全部死なせてしまうだろう。
そのように勝手に勘ぐっていた。
……よく、この猫が、その一角の家の玄関の前に黙って座って餌をくれるのを待っている姿などを何度となく目にした。
私自身は少し離れた所に住んでいるので、その辺に住んでいたら毎日何か与えることもできたが、なかなかそうもいかず、それでもたまに餌を運んでやった。
野良猫がなぜ存在するのかというと、猫自身が地面から湧いて出てくるわけもなく、元々は誰かが飼っていた猫を面倒くさくなって放置した結果が野良猫という存在を作ったわけである。
一番悪いのは、避妊虚勢もせずに無責任に放置した人間なのであって猫そのものは害獣でも何でもない。
歴史を遡ると、元々野生で暮らしていた動物を鼠を捕ってくれるなどの理由で人間が猫自身の意思に反して人間の世界に連れてきたことに端を発してるわけである。
しかし、この近辺の人間と話をすると、「増えて迷惑だから、餌はやらないでくれ」と言う。(迷惑というのは主に糞害)
本当は野垂れ死にすれば助かるのだが、それも少しかわいそうな気もするので余り物などをたまに与えてるといった感じであった。
そのような肩身の狭い環境の中で、親猫の半分程の大きさの子猫が子育てなど絶対に不可能だと思っていた。(他の体格のいい野良猫との餌の取り合いもある)
所がである。
ある日、自転車でその辺りを通った時、その雌猫の腹に寄り添うように三分の一程の大きさの子猫が一匹くっついている光景が目に入ってきた。
………これには大変驚いた。
「お前子育てやってたのか!何てやつだ………」
私は思わず心の中でそのように叫んだように思う。
そうなると話は全く別だ!
何を言ってるのかというと、私は、その近辺を通る度に野良猫のことを不憫に思ってはいたが、しかし、それで私が餌を毎日運んだりすると、それをあてにして、その近辺のわずかばかりな情けを持った住民が、今度は全く餌を与えなくなるということがすぐに想像できたからである。
しかし、この自分自身がまだ遊びたい盛りの成猫の半分程の大きさの雌猫が、劣悪な環境の中で小さな体で授乳を続けていたということを知った時、久しぶりに胸を打たれた気がした。
そこで、その雌猫のためにその日から私は餌を運んでやることにした。
…………
所が、その雌猫の顔を近くで見て驚いた。
口を閉じているのに舌を出している………
よだれが垂れて下顎が濡れてる
よく見ると、上顎の右側の牙が抜けてなくなっていた。
体毛も所々抜けてる。
まだ足取りはしっかりしてはいたが、かなり危ない状態と言えるのではなかったかと思う。
缶詰の餌を与えても食いつきが悪い、死ぬ程の空腹のはずなのにあまり食おうとしない………
おそらく、カルシウム不足で歯が弱って虫歯になってしまったのだろう。
何ということか…………
もっと早くに餌を運んでやればよかった……
私はとても後悔した。
そこで、虫歯でも食べやすいよう、ドライフードを水で柔らかくして鰹節を混ぜた物を調達してやると、何とかきれいに食べた。
そのようにして、10日ぐらい経つと、徐々に体重も増えて体力も回復してきたように見えた。
しかし、この猫からは、以前に見たはしゃぐような表情、明るい表情は全く回復することはなかった。腹の底で人間をあてにしていないような、そんな目つきであった(実は私は過去に二度子猫を拾って育てた経験がある)。
この野良猫の不幸は、対症療法でこのように餌を運んでやってもそれは一時凌ぎに過ぎず、人間が責任を持って根本治療してやらねばならない問題であると思った。
名古屋市の場合は野良猫の避妊手術は三万円まで助成金が出ることが確認できたので、私は、そのことを
◎野良猫の避妊手術について-と題したチラシを悲惨なその野良猫の現状の話と絡めて作り、その野良猫の住む近隣一体に配布した。
このことが、功を奏したのかどうかは不明だが、この雌猫に私が餌を運んで行く前に餌を与える人間が出てきたようで、私自身は今はもう餌やりには通ってはいない………
※添付画像一枚目が、その雌猫。
まだ、とても親猫とは言えない大きさ。この写真は餌を与えて10日目くらいの時だが、左肩と喉の辺りの体毛が抜けてるのがわかる。
こんな一歳そこそこの動物が、自分の命を投げ棄てて子育てをしてるのである。
どれ程自分の身が崩れようとも授乳をやめようとしない。(二枚目に写っているのが子)
産んだ子は自分が守ってやらねばどうなってしまうのかという一心で無理な授乳を続けていたのだろう。
最初に缶詰の餌を運んでやった時、なかなか食おうとせず、もう死を覚悟しているような表情をしていた。
この雌猫にとって、この世に生まれてきた喜び楽しみとは何だったのだろうか?
まだ妊娠する前、ピョンピョンと無邪気に跳ね回って虫などを追いかけていた時が唯一の生まれてきた楽しみだったのだろうか………
私は、人間と動物を比較すると、どちらかというと動物の方が好きだ。
なぜなら、人間は計算高いからである。卑怯だからである。
コウモリ野郎だからである。
それに引き換え動物は純粋そのものだからである。
自分の子供を殺して自分の幸せを掴むというのは極一部とはいえ人間だけに見られる行為である。
自分の苦労話を美談にして金を稼いだり教祖になったりするのは人間だけに見られる行為である。
名誉とか勲章とかにこだわって他を見降そうとするのも人間だけに見られる行為である。私は歴史上の誰それの生まれ変わりであるとか、私には天上界の誰それが啓示を与えてくる-だからお前より偉いんだぞなどと得意になるのも人間だけに見られる行為である。
(※当ブログにおいては、よく本物のイスラエル人だ偽ユダヤ人だ何だという話をするが、イスラエル人がどうしたこうしたという話には私自身は何のこだわりもない。ただ偽ユダヤ人が色々とユダヤ人のふりをして悪さを仕掛けて来るので、相対的にやむを得ず引き合いに出しているというだけの話である。…ダビデの正胤を継ぐ者がどうしたこうしたという卑しいコメントがたまに入るが、私自身はダビデなどという人物は何とも思っていないし何の評価もしていない)
そして、何より、人間として、否、この世に生まれた者として守るべき規範、筋道を人間は、義とか信とか仁とかの言葉で表現するが、大抵の人間はそれらについて試される場において、我が身可愛さを優先して軽く裏切る、あっさりと背くからである。
誰も見てなかったらそんなもんわからん
そんな者に気を使っても何の褒美もない
そんな通りすがりの者に迷惑をかけたからといって後は自分の人脈に何も響かないのだから、金をかけた詫びなどする必要ない(今まで何度か交通事故に巻き込まれたが、皆様決まってこういう態度を採られる)
動物は、人間に見られるそういう下劣な損得保身を規準にした思考パターンというものを持ち合わせていない。
世話になった者に対しては何の打算も無しに行動に出る。
私は元々北海道だが、山林で羆に出逢った時、同行していた犬が脇目もふらず自分の何十倍という羆に突進していったという話は何度となく聞いた。YouTubeにもそういう動画が何本か上げられていたはずである。
もちろん、世話になった人間に対しての話だけではなく、子育てにおいても動物は勇敢である。
これも北海道にいた頃の話だが、その時も野良猫の世話をしていた時の話だが、三匹の子を産んだ私になついていた野良猫が、ある日野原(空き地)で子猫とじゃれ合っていた時に、鎖のない豆芝が10m位離れた所を通った。豆芝とは言っても、猫の四倍位はある。
その豆芝は、ただ近くを通っただけだったのだが、その親猫は何を思ったのか、その豆芝に向かって一目散に突進していった。
そして、左後脚のアキレス腱の辺りにガブリと噛みついた。
豆芝は何が起こったのか分からずキャンキャン鳴き叫んだ。
もちろんこの時は、人間である私が仲介に入って、親猫も子猫も豆芝も何事もない状態に済ませることができたが、この時の親猫の姿は忘れることができない。
自分が行動を起こさねば子猫の命が危ないと思ったのだろう。
動物の心は実に純粋である。
もちろん生きるためには動物も色々な行為に及ぶが、人間に見られる卑しい計算高いコウモリ野郎の行動を取る動物というのは見たことがない。
山で羆に出逢ったからといって、世話になった人間につかず羆の方に揉み手で擦り寄っていく犬など、おそらく世界中探しても一匹もいないはずである。
だが、人間はそうではない。自分がいい思いをするためには助かるためには、イザとなったら、誰も見てなければ義も信も仁もへったくれもない。それが残念ながら大半の人間の思考パターン行動パターンと言えるのではないか。
どこかのサイトの書き込みで読んだが、「今の日本人はゴミカスの子孫である。本物の日本人、本物の武士はみんな先の大戦で殺されてしまった。媚びを売って生き延びたゴミカスだけが生き残った(特に主要なポストにある日本人)。今生きている日本人はゴミカスの子孫」……こういう過激な主張を読んだが、これは残念ながらある意味その通りだと私も思う。
志願して自衛隊に入った皆さんは別として、今の日本人はとにかくヘタレだ。
中国朝鮮人に対しては、ある程度はっきりとものを言うが、相手が米軍だCIAだイルミナティだ三百人委員会だとなると、シーンと水を打ったように静まりかえって誰も直接抗議をしない。
話題にしない。触れようとしない。
ネット上でピーチクさえずるだけである。
最初から負け犬の遠吠えである。
そして、直接の行動を起こしている者に対しても同意の姿勢すら示そうとしない。
日本人を守るために孤立無援で戦ってる者を、離れた建物の陰から顔を半分だけ出して、なぶり殺しにされる所までジーっと卑しい目で見ている。
そして、その人間が殺された後も、自分がその人間のお陰で助かったに関わらず何食わぬ顔で今まで通りの生活を続けようとするのだろう……………
せめて、同意の態度ぐらい示すのが人間としての道ではないのか?
私は、名誉とか勲章とかいうものには関心はないが、間違いなくこの世で最も神々しい者の一つであるあの猫が、その命を終える時、まさに死を迎えるその時に、「あの人間は苦しい時に何度も餌を運んでくれた、あの人間は自分の味方だった、あの人間はいい人間だった、出会えてよかった」
もし、そのように思ってくれたならば、それは私にとって名誉であり勲章である。
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